2009年 06月 28日
伊川のこと |
神戸市西区から明石にかけて、明石川と伊川と言う川が流れている。明石に入って合流し海に注いでいる。伊川は配達の帰り道にいつも川沿いを走っているので、ここ20年ぐらいの変化を何となく観察している。
伊川は明石川に比べいくぶん川幅が狭い事もあり、僕が見ていた西区南部でも、10年以上前は自然に近い状態だった。木が生い茂り川沿いの道から見る限り緑が濃くて、河原を住処にしている生物にはとても生き易そうな河原だった。幾分緑が生い茂りすぎて、人間がアプローチするには入り口を知っている人でないと近づきにくい状態だった。
それが全県全土公園化というスローガンの元に、下流の方から緑を全部剥ぎ取り、コンクリートで固めて、河川敷を平らにする工事が始まった。河原は平らにしてたしかに人間は降りていきやすくなった。
しかしあの豊かな緑が土とコンクリートだけにされて、泥水しか流れていない状態を見ていると、命の源とも言うべき水の流れが、汚されているような気がしてしかたがなかった。
工事がやっと終わったと思ったら、今度は更に上流で同じ手法でまた再開され、一体何処まで続くのだろうと溜め息が出てしまう。下流の川幅が広いところでは、河川敷公園として利用され、人と川をつなぐ場として、それなりに意義のある利用の仕方はされていると思う。でも上流になるほど水の流れる所をコンクリートで囲んで、だだの水路化してしまい、自然豊かな伊川を金をかけて破壊しているようにしか見えない。
治水対策上必要な整備はたしかにあるのだろう。川の中に木が生えていては治水対策上問題があるのかもしれない。でも川にも植物が豊富にありいろんな生物がいる事で、浄化されると共に、必要な栄養分を海にまで届けているのではないだろうか。
ダムを作る事で山の砂は海にまで届かなくなった。川を水路化する事で、山の栄養は届かず、汚れた水がそのまま海に流れ込む。その図式を変えるためにも川の整備の仕方を考え直すべきだと思う。治水対策で工事を行うにしても、自然を取り入れ生かした工法が、各地で行われるようになっている。川は単なる水路ではない事をしっかり認識すべきだと思う。
伊川は県の管轄じゃなかったっけ、折しも県知事選挙が行われている。川をはじめ環境の事も考えてくれる候補はいるのだろうか?
伊川は明石川に比べいくぶん川幅が狭い事もあり、僕が見ていた西区南部でも、10年以上前は自然に近い状態だった。木が生い茂り川沿いの道から見る限り緑が濃くて、河原を住処にしている生物にはとても生き易そうな河原だった。幾分緑が生い茂りすぎて、人間がアプローチするには入り口を知っている人でないと近づきにくい状態だった。
それが全県全土公園化というスローガンの元に、下流の方から緑を全部剥ぎ取り、コンクリートで固めて、河川敷を平らにする工事が始まった。河原は平らにしてたしかに人間は降りていきやすくなった。
しかしあの豊かな緑が土とコンクリートだけにされて、泥水しか流れていない状態を見ていると、命の源とも言うべき水の流れが、汚されているような気がしてしかたがなかった。
工事がやっと終わったと思ったら、今度は更に上流で同じ手法でまた再開され、一体何処まで続くのだろうと溜め息が出てしまう。下流の川幅が広いところでは、河川敷公園として利用され、人と川をつなぐ場として、それなりに意義のある利用の仕方はされていると思う。でも上流になるほど水の流れる所をコンクリートで囲んで、だだの水路化してしまい、自然豊かな伊川を金をかけて破壊しているようにしか見えない。
治水対策上必要な整備はたしかにあるのだろう。川の中に木が生えていては治水対策上問題があるのかもしれない。でも川にも植物が豊富にありいろんな生物がいる事で、浄化されると共に、必要な栄養分を海にまで届けているのではないだろうか。
ダムを作る事で山の砂は海にまで届かなくなった。川を水路化する事で、山の栄養は届かず、汚れた水がそのまま海に流れ込む。その図式を変えるためにも川の整備の仕方を考え直すべきだと思う。治水対策で工事を行うにしても、自然を取り入れ生かした工法が、各地で行われるようになっている。川は単なる水路ではない事をしっかり認識すべきだと思う。
伊川は県の管轄じゃなかったっけ、折しも県知事選挙が行われている。川をはじめ環境の事も考えてくれる候補はいるのだろうか?
by furisu21
| 2009-06-28 23:58
| ふりすの日常