2015年 09月 16日
戦争法案反対デモに参加してきました |
神戸で行われた安保関連法案いわゆる戦争法案反対デモに参加してきた。集団的自衛権の名のもとで、海外まで自衛隊を派遣し、日本が攻撃される状況になくても武器の使用基準も更にゆるくして、アメリカの戦争に参加できるようにする法案だと思う。
安倍首相は積極的平和主義という言葉を使い、武器を持った軍隊を派遣することを積極的平和と呼んでいるのだがとんでもないことだ。武器を持った闘いに苦しめられている人々を何とか助けて、話し合いによる解決への道に導くこと事こそが、積極平和と呼ばれるべきだ。
武器、いわゆる人殺しの道具を大量にそろえて、何の恨みもない他人をたくさん殺しても、それが国家の命令であれば何の罪にも問われることは無い。しかし人を殺せば必ず恨みも憎しみもかう、なぜならば殺された人も必ず社会生活を送っている個人だからだ。人を愛し、子供を育てている人かもしれない。大事に思っている人もいるだろう。そんな人同士を容赦なく戦わせるのが戦争だ。私はだれも殺したくはない。誰にも殺されたくない。そして誰も殺させたくない。それが唯一の立脚点だ。殺すことで生まれる平和などあり得ない。
国会前までは行けなかったが、地方のデモにも様々な年齢層の人々が参加するようになってきている。子連れの女性の姿も見かけた。デモの列が長くなっているので、横断する人も通りにくくなっている。隣を歩いていた女性は立ち止まって横断する人を通してあげようとしていた。そんなとき横から近づいてきた青年がいたので、再び横断してもらうために道を空けたら、そのまますっとその青年は列に加わった。
今流れは変わりつつある。法案は自公の数の力で可決するかもしれない。しかしこのまま日本を戦争への道へ進ませてはならない、という国民の意識はしっかり定着しつつある。
日本ではこの70年間九条のおかげで、少なくとも戦争で殺される人も、殺す人もほとんどいなかった。戦争への道を開いてはならない。今ならまだ間に合うのだ。
安倍首相は積極的平和主義という言葉を使い、武器を持った軍隊を派遣することを積極的平和と呼んでいるのだがとんでもないことだ。武器を持った闘いに苦しめられている人々を何とか助けて、話し合いによる解決への道に導くこと事こそが、積極平和と呼ばれるべきだ。
武器、いわゆる人殺しの道具を大量にそろえて、何の恨みもない他人をたくさん殺しても、それが国家の命令であれば何の罪にも問われることは無い。しかし人を殺せば必ず恨みも憎しみもかう、なぜならば殺された人も必ず社会生活を送っている個人だからだ。人を愛し、子供を育てている人かもしれない。大事に思っている人もいるだろう。そんな人同士を容赦なく戦わせるのが戦争だ。私はだれも殺したくはない。誰にも殺されたくない。そして誰も殺させたくない。それが唯一の立脚点だ。殺すことで生まれる平和などあり得ない。
国会前までは行けなかったが、地方のデモにも様々な年齢層の人々が参加するようになってきている。子連れの女性の姿も見かけた。デモの列が長くなっているので、横断する人も通りにくくなっている。隣を歩いていた女性は立ち止まって横断する人を通してあげようとしていた。そんなとき横から近づいてきた青年がいたので、再び横断してもらうために道を空けたら、そのまますっとその青年は列に加わった。
今流れは変わりつつある。法案は自公の数の力で可決するかもしれない。しかしこのまま日本を戦争への道へ進ませてはならない、という国民の意識はしっかり定着しつつある。
日本ではこの70年間九条のおかげで、少なくとも戦争で殺される人も、殺す人もほとんどいなかった。戦争への道を開いてはならない。今ならまだ間に合うのだ。
by furisu21
| 2015-09-16 23:54
| ニュースを考える