2012年 03月 11日
3月11日から一年です。 |
3月11日から1年がたってしまいました。あの日、神戸の海岸沿いを配達のために車を走らせていました。ラジオからの第一報は東北で震度6強から7の地震が起こり、6メートルの津波の恐れがあるということでした。阪神大震災の経験からいっても、これは大きな被害の出る地震だと感じました。
津波のニュースは初め1メートルと伝えられ、それぐらいで済めばと思っていたら、電話でインタビューを受けていた現地の方が、家が流されているのが見えると実況を始めました。今走っている神戸の海岸は平穏だけれど、同時にたいへんな目に合っている方々がおられるのを感じながら、ドキドキしながら走っていたのを思い出します。
帰ってからニュースを見ると、阪神大震災以上の広い範囲での震災です。その上大津波に襲われて多くの方が亡くなっているようでした。さらにその頃、福島の原発がたいへんな事態を招いているとは、原発は安全に停止したとのニュースしか聞いていない者にはわかりませんでした。
阪神大震災でも悲惨な目に合われた方はたくさんいらっしゃいます。今なお傷を抱えながら暮らしている方もあるでしょう。しかしボランティア元年と言われるほど多くの人たちの助けも得て、少しずつ街の様子は改善してきました。表面的には以前よりきれいに見えます。裏町に入れば傷跡は残っているのですが。
東北も人々がそこで力を発揮できれば、必ず人間らしい豊かな生活は取り戻せると思います。そこには人を含め生命の持つ無限のパワーがあるのですから。
しかし人が入る事の出来ない、汚染された地域を作ってしまっては、その力も発揮することができません。何十年も、核種によっては何万年も消えない、目にも見えない汚染物質をばらまいてしまっては、除染するといっても汚染物質を移動させているにすぎないのです。
放射性物質さえ、作り続け溜め続けることがなかったら、福島原発のあったあたりでも津波の被害を乗り越えて、今ごろは再建、生産の動きが始まっていただろうにと思うと残念でなりません。せめてそんな場所をこれ以上増やさないように、放射性物質製造装置である原発は一刻も早く止めなければなりません。そして地震や津波に襲われる前に安全に廃炉を完了しなければなりません。
「その時のエネルギーはどうするのか?」それは次の機会に議論することにしましょう。
津波のニュースは初め1メートルと伝えられ、それぐらいで済めばと思っていたら、電話でインタビューを受けていた現地の方が、家が流されているのが見えると実況を始めました。今走っている神戸の海岸は平穏だけれど、同時にたいへんな目に合っている方々がおられるのを感じながら、ドキドキしながら走っていたのを思い出します。
帰ってからニュースを見ると、阪神大震災以上の広い範囲での震災です。その上大津波に襲われて多くの方が亡くなっているようでした。さらにその頃、福島の原発がたいへんな事態を招いているとは、原発は安全に停止したとのニュースしか聞いていない者にはわかりませんでした。
阪神大震災でも悲惨な目に合われた方はたくさんいらっしゃいます。今なお傷を抱えながら暮らしている方もあるでしょう。しかしボランティア元年と言われるほど多くの人たちの助けも得て、少しずつ街の様子は改善してきました。表面的には以前よりきれいに見えます。裏町に入れば傷跡は残っているのですが。
東北も人々がそこで力を発揮できれば、必ず人間らしい豊かな生活は取り戻せると思います。そこには人を含め生命の持つ無限のパワーがあるのですから。
しかし人が入る事の出来ない、汚染された地域を作ってしまっては、その力も発揮することができません。何十年も、核種によっては何万年も消えない、目にも見えない汚染物質をばらまいてしまっては、除染するといっても汚染物質を移動させているにすぎないのです。
放射性物質さえ、作り続け溜め続けることがなかったら、福島原発のあったあたりでも津波の被害を乗り越えて、今ごろは再建、生産の動きが始まっていただろうにと思うと残念でなりません。せめてそんな場所をこれ以上増やさないように、放射性物質製造装置である原発は一刻も早く止めなければなりません。そして地震や津波に襲われる前に安全に廃炉を完了しなければなりません。
「その時のエネルギーはどうするのか?」それは次の機会に議論することにしましょう。
by furisu21
| 2012-03-11 17:32
| ニュースを考える